夕日キャンペーンヒストリー
日本海夕日キャンペーンのこれまでの軌跡をまとめました。
キャンペーンスタートのきっかけと込められた思い、
昨年度までに取り組んだ事業内容をご覧いただけます。
夕日コンサートスタートまでの軌跡
1985年、上越新幹線や関越自動車道などの高速交通体網が整備された頃、新潟市の若手旅館経営者には危機感が高まっていました。首都圏などとの交通アクセスのよさが、新潟市を「通過点」に変えてしまうのではないか。街の魅力を創造し、人を新潟に引きつけたい。新潟という街を元気にしたい。1985年12月、そんな想いから新潟市旅館協同組合青年部の人たちが、トキをキーワードに 「ニッポニア・ニッポン キャンペーン」を打ち立てました。
年が変わった1986年3月。「ニッポニア・ニッポン キャンペーン」は挫折。 熱い想いとはうらはらに、予算規模を含め、自分たちがやりきれる領域を超えていました。しかし、その想いは消えることなく、青年たちは新たに歩みを進めていったのです。
あらためて、新潟という街の魅力を見なおしてみよう。身近すぎて見過ごしていた場所、そこには海辺の空間と沈む夕日の情景、ゆったりと流れる時間の不思議な安らぎがありました。日本海と夕日、それこそ、新潟の原風景ではないだろうか。
トキから夕日へ。日本海夕日キャンペーンが産声をあげた瞬間です。
旅館組合青年部を中心に、11人の市民実行委員会が集まりました。予算を含め、自分たちが責任を持ってやる抜くことができる市民キャンペーンに。規模を縮小したとはいえ、事業を進めていくのは容易なことではありません。11人の実行委員は、懸命に自分たちの仕事に取り組み始めました。
そして1986年8月6日。新潟市関屋浜で、初の日本海夕日コンサートを開催。夕日はわずかに顔を見せただけでしたが、成功と言える結果を残しました。11人の無我夢中が生み出した成果でした。そして、日本海夕日キャンペーンは長い歴史を歩き出したのです。